再・再開:ニューイングランドの大学街より

最後にここで書いた時から2年4カ月近く空いてしまいました。前回の際は酒を飲みながら書いていて気分が良かったのと、実は当時ちょっとした吉報があり、その時から新たな始まりとしたいと思っていました。残念ながらその吉報は後に儚い形で終わってしまい、残念な思いもあってこのブログからも遠ざかったままでした。

このたび、2017年8月末からアメリカ北東部マサチューセッツ州の某大学へ学術協定校への教員交換派遣という形で行くことになり、現在アメリカに来ています。留学時代とは異なり、1年と期限の決まった時間なので、その記録を残しておくべく、日記形式でブログを再開することにしました。今後どこまで続くかわかりませんが、自分にとって将来振り返ることのできる記録となれば良いですし、近隣の地域で学び生活する人たちの参考になれば幸いです。

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8/27
 前夜に伊丹空港のホテルで泊まり、早朝にチェックアウトしてそのまま航空会社の国際線乗り継ぎカウンターでチェックイン。京都から始発の地下鉄に乗って伊丹へ来るよりも30分早く全てを終えられて安心。空港内の店で朝食をとり、出発。伊丹-->成田-->ワシントンDC(ダレス空港)-->ボストン。ダレスの入国審査は特に聞かれることもなく、問題なく通過。しかしテキサスに上陸したハリケーン・ハーヴェイの影響でボストン行きの便が変更となり、2時間遅れでJetBlueの便で向かうことになる。たまたま日本からの便と乗継で一緒になり、フライト変更のサービスカウンターで雑談した方がR大のN先生で、話してみると共通の知人がたくさんおりビックリ。世間は狭いとつくづく感じる。

 ボストンに無事着き、荷物をピックアップしてレンタカー会社の車庫まで行き、白い車を借りて出発。空港からI-90の有料道路をゆっくり西に向かう。週末のせいか車の数が多く、皆頻繁にブレーキを踏んでいるのが後方からわかる。もうひといきでI-84とのジャンクションというあたりで渋滞があり、前に合わせて停止したところ、後ろの車に追突された・・・。バックミラーで向かってくるのが見えたので「来る!」と言った一瞬の出来事。幸い妻も私もシートベルトを着用していたので怪我はなかったが、車を路肩に寄せて外に出たら後部トランクがペシャンコに潰れており、荷物の1つが投げ出されていた。周囲の車が止まってくれていたので、急いでそれを拾い、一安心。

 私に謝ってきた加害者が電話したことで、ほどなくして警察が来た。免許証などを渡し、事故レポートを書いてもらうまでは良かったが、警察が車両牽引の業者を呼んだため、私が運転した車は廃車扱いで撤去されることになった。レンタカー会社への電話やりとりもままならず、業者が「早く乗れ、置いて行くぞ!」と急かすため、行く先もわからずそれに乗って行った。結局宿泊施設とガソリンスタンドがある場所まで連れられ、妻と私と荷物はそこで降ろされ、牽引業者は事故車両を乗せていなくなってしまった。途方にくれた我々はタクシーを呼ぼうと思い、ガソリンスタンド内で近場のタクシー会社の電話番号を教えてもらったところ、近くにいた男性が「Uberが安いし近くにあるからそれにしろ」と告げて立ち去っていった。我々は検討の末、近くに飛んでいたWifiUberのアプリを入れ、試しに呼んでみたら本当に運転手(女性)が現れることになり、本来の目的地である大学街まで送ってもらうことになった。車中の会話も違和感がなく展開し、およそ1時間で到着。彼女が出て来なかったらここまで初日に辿り着けなかっただろうと思うと感無量・・・。Uberで表示された料金とは別に、感謝のチップを弾んで渡した。あらかじめ入手していた鍵で新天地の住居に入り、室内を確認して妻と一安心。何も食べずにすぐ寝た。

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8/28 
 朝、心地よく目が覚める。前夜に到着した際は夜だったので回りの様子がわからなかったが、起床後に外を見ると木に囲まれた住居であることを実感した。芝は緑、木も茂って緑が多い。

 まずは大学へ行き、ホスト先へ挨拶。前日のトラブルについて話し、日本から持参した粗品を渡した後、各種手続きのため学内の各地を回る。ビザ関係の書類を渡し、大学ID発行手続きを取り、その場で得たIDカードでメールアドレスを申請しにいく。全てがスムーズに進み、一安心。事務方の皆さんの準備に感謝。

 車がないと何の買い物にも行けないので、改めて当地でレンタカーをすることにし、徒歩10分ほどの場所にあったEnterprise社で車を借りる。料金は前日の会社とあまり変わらず、ちょっと高く感じたが、足があるだけで大違い。大学から少し南西へ行った州道沿いの店をあちこち回り、日用品を購入する。当初のレンタカー会社との交渉は日本から持参した携帯ではつながらなかったことから、電話対応のためプリペイドの携帯電話も購入した。

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8/29 
 雨模様の一日。レンタカー会社のカスタマーサービスに一昨日の問題を相談するも、「レンタルは借りた場所(ボストン・ローガン空港の営業所)でないとキャンセルできない」の一点張り。「事故車両の所在地がわからないとキャンセルもできない」と話が進まず、苛々が溜まる。

 一旦これから手を離して、日本から持ってきた宿題となる仕事を終わらせるため、終日それに取り組む。途中で妻の買い物にアテンド。家の様子も少しずつわかってくる。今回我々が住む家は、派遣された学術協定校側が我々に対して用意して下さっている集合住宅の一角で、過去にも同じ大学の別の学部・学科に所属する先生が住んできたため、様々なものが残されていた。家具や小物を何も持参せずに来てよかったと、改めて実感。

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8/30 
 昨日言われた事故車の所在がどこなのか気になり、事故発生時周辺の車両牽引サービス業を探して電話してみたところ、事故車両を保管しているとの回答を受ける。所在がわかり、一歩前進。これをもとに再びレンタカー会社のカスタマーサービスへ電話したものの、やはりレンタルのキャンセルはできず。全く解決に動かない状況が腹立たしい。

 他方で、大学の図書館内にオフィスを貰えるとの話があり、その部屋を観に行く。1階の研究用個室エリアの角部屋で、窓が一つ。本棚が3列分と引出し付きの机が1つ。プリンタも電話もない部屋だったが、籠もるのには良いのかもと思い、ここを拠点化することにする。オファーしてくれた歴史学の先生に感謝。


(長くなるので、稿を改めます。)