ニューイングランド生活 第19週・第20週

 長らくご無沙汰してすみません。少しずつ記録が抜けているうちに、書き足せなくなってしまいました・・・。三日坊主とはこういうことをいうのかな。一部記録が抜けているところもありますが、家計簿やノートを見ながら可能な範囲でフォローしていきたいと思います。面白い読み物になっている自信はありませんが、よろしければまたお付き合い下さい。

                            • -

1/1 (Mon)
 新年明けましておめでとうございます。夜に12時を過ぎて新年に入ったことを確認してから就寝し、ゆっくり寝て朝を迎える。
 前日まで連日よく食べていたので、朝も空腹感はなく、片づけしてチェックアウト。外は相変わらず摂氏−10度以下で寒い。雪が片づけられた道をナビに沿って進み、住まいがある大学街まで戻る。ボストンから車で1時間40分ぐらい、だいぶ慣れてきた。
 例年、アメリカの年末年始と言えばNFLの最終戦や大学フットボールのボウルゲームの日。今回は帰宅して昼から呑みながら大学フットボールのTV観戦三昧。オクラホマ大とジョージア大が初めて対戦したオレンジボウルは延長まで進んだ末にジョージア大が勝利。どちらかといえば、オフェンスのリズムが良かったオクラホマ大に勝ってほしかったなぁ。去年の大学選手権決勝の再来となったシュガーボウルのクレムソン大対アラバマ大は、シーズンの大半で全米一位の評価を得ていたアラバマ大が実力通りの強さでクレムソン大を粉砕。翌週の全米選手権決勝はジョージア大とアラバマ大、まさに隣同士の州が戦うことになった。

                            • -

1/2 (Tue)
 派遣先の大学は1月2日から3週間、Intertermといわれる冬学期の時期に入った。この時期は単位制でない実習系の様々な科目が開講されており、私は地理情報システム(GIS)の科目を聴講させてもらう。日本でも関西のGISデーなどに行ったことはあるが、数時間少し使うだけでなかなか身につかず、学ぶ機会もなかった。今回は3時間のクラスが6日行われるため、全部で18時間。日本の一コマ90分で換算しても12週分あるので、そこそこ学べるだろうと期待した次第。初日はArcMapを利用してShapeファイルをあれこれ使う作業が中心。朝9時〜12時という時間も丁度良い。残る日々にも期待したい。
 午後はメール対応を済ませた後、一度家に帰ってから車のメンテのため近くの修理屋へ。9月上旬に車を買ってから4カ月弱で6000マイル(約9600km)走ったが、オイル交換以外は特に問題もないと言われる。このまま無事故・無故障で終わりたい。その後は家で読書。しばらくは休肝日。

                            • -

1/3 (Wed)
 朝、前日に引き続きGISの講習。センサスのデータを地図化する作業など。レイヤーとデータの組み合わせやその操作手順を身につけるため、しばらく練習する必要がある。
 日中は図書館のオフィスへ。久しぶりに自室で作業。来年度担当するクラスのシラバスを提出せねばならず、そのうち2つは新しい科目であり、このうちの1共同で科目を担当する先生とメールでやりとりしながら計画を練る。

                            • -

1/4 (Thu)
 前夜から降り始めた雪が続き、結構な積雪量となったため、大学が閉校となる。仕方ないので、一日家でいろいろ読む日。その他、記録なし。

                            • -

1/5 (Fri)
 朝、一日休みが入ってからのGISの講習。午前9時〜12時までだが、初日に比べると履修者は減った気がする。単位制でないため、皆それぞれの予定が中心となるから仕方ないだろう。昼以降はいろいろ読んだり来年度のシラバスを考えたり。

                            • -

1/6 (Sat)
 主な記録なし。住まいの大学街から5マイルほど南西に向かったHadleyにもうアジア系スーパーがあることを知り、そこへ買い物に行く。住まいのそばにある台湾系の店よりもずっと大きく、ベトナム系の店長が気さくにいろいろ話してくれた。私はここが気に入ったので、また来るだろうと思った。

                            • -

1/7 (Sun)
 主な記録なし。昼食をハドレーの街道沿いにあるPulse Cafeという店で食べたが、気になって行ってみた当店はベジタリアンの店だった。帰りにWhole Foodsでいろいろ買いこんで帰る。

                            • -

1/8 (Mon)
 朝、前週に続きGISの講習。内容は失念・・・。
 午後、仕事中にメールがあり、鍵が出来たとのこと。今学期はサバティカルに出た日本文学研究の先生のオフィスを使わせてもらうことになったので、そこの鍵を受け取る。以前は作ってもらった鍵が機能せずやり直してもらったが、今回は一発で問題なく使えて安心。"

                            • -

1/9 (Tue)
 午前はGISの講習。たしかこの日は途中で全然分からなくなってしまった気がする・・・。
 午後、図書館の片隅にあったオフィスを片づけて、新しいオフィスへ移る。広くなったし、机も解放感があって有難い。

                            • -

1/10 (Wed)
 記録なし。おそらく前日にオフィスの引越しを終えて、朝からWebster Hallにて仕事ができるようになり、気分一新で取り組んでいたと思う。

                            • -

1/11 (Thu)
 主な記録なし。

                            • -

1/12 (Fri)
 主な記録なし。昼食を妻とハドレーの韓国料理店へ初めて行ってみる。まぁまぁだったかな。小さな食材店が併設されていたので、そこでチジミの粉を買って帰る。

                            • -

1/13 (Sat)
 主な記録なし。

                            • -

1/14 (Sun)
 朝、前日に続いてランニング。冬至を過ぎてから、朝の日の出が早くなってきていることを実感する。往復3マイル弱と大した距離ではなかったが、良い運動の機会。
 朝食後、用意を済ませて妻とともに車でボストンへ。明日15日が祝日で大学が休みと知り、せっかくなのでボストン市内・近辺の麦酒醸造所巡りをすることにした。
 チャールス川を隔ててボストンの北側にあるCambridgeの宿でチェックインした後、地下鉄を乗り継ぎ、古くからのボストンの地ビールの1つとして知られるHarpoon醸造所へ。思ったよりもずっと大きな施設で、micro breweryというよりはregional breweryなのかなという印象を受ける。ここに併設されたブリュワリーパブは満席!相席や立ち飲みも含めて150人以上はいたのでは。妻と二人で座れる席を探し、空いているところで入れてもらう。ここではSamplerと呼ばれる4杯お試しセットを2つ頼み、いろいろ飲み比べする。Samplerだけでも4種類のメニューがあり、16種類のビールを作っていることがわかる。このうち主力商品はHarpoon IPAだったが、白・小麦ビール系はUFOという新たなブランド名で売り出しはじめており、規模拡大を着々と進めていることが読みとれた。どれも美味しかったが、私はやはり主力のIPAが一番好きかなー。隣席の人たちと何気ない会話から話が進み、ボストン近郊でお勧めの地ビール醸造所を教えてもらう。こういうやりとりはアメリカの方がやりやすくて、私は好きだ(^^)。今回はマサチューセッツ地ビール醸造協会が作成した「パスポート」なるリストに載っている先をいろいろ回って飲む予定だったので、全種類制覇は諦め、ひとまず8種類で終えておく。ここを出る頃には寒いにもかかわらず外に行列ができていてビックリ。
 Harpoon Breweryから海岸付近の再開発地域を少し歩き、二軒目のTrillium Breweryへ行く。ここは醸造・販売ライセンスはあるものの、飲食店としての営業許可を持っていないようで、缶やgrowler(蓋つき大瓶)のみの販売がなされており、試飲もできず。ただ、客の出入りが絶えなかったので、人気の店なのだろう。我々はここでPale AleとIPAをそれぞれ4本缶セットで購入した。
 Seaport地区からダウンタウン方面に向かい、ボストンティーパーティー(茶会事件)の記念跡地を通過して、サウスステーションへ。ここからバスに乗り、南へ。妻が目星をつけていたアジア系創作料理店へ行き、そこでディナー。大皿でない料理をつまみながら、美味しく飲む。胡麻が濃い坦々麺(スープ無)と豚肉のリブローストが美味しかった。ここでも隣の席の夫婦と何気ない会話から意気投合、面白かった。
 程よく呑み・食べて、店を出る。近くにWhole Foodsがあるのを妻がグーグルマップで見つけて、そこへ立ち寄り少々買い物。酔っていた私はオリーブとビールを更に追加購入(苦笑)。夜になり気温が低く、公共交通で帰るのがやや面倒だったため、人生2回目のUber利用。モーリタニア出身の大学院生が運転手で、いろいろ話す。Uberで働く(運転する)人の視点がいろいろ聞けて、労働条件としてはタクシーとほぼ変わらないことがよくわかった。距離的には宿まで近く、料金は12ドル程度とお得だったが、何より彼からいろいろ話が聞けたのが良かったと思う。着いてから手元の現金をチップとして渡し、部屋に戻ってからは二人ともバタンキュー・・・。

ニューイングランド生活 第17週・第18週

12/18 (Mon)
 この日からホスト大学は試験期間に入ったが、自分に影響することもなく、通常通り。特筆する事項の記憶なし。

                            • -

12/19 (Tue)
 特筆する事項の記憶なし。受け取るはずの郵便物(グリーティングカード)が自宅に届かず、送付元と運送業UPSに電話していろいろアレンジした日。その後も何度か交渉と確認が続き、結局ブツが届いたのは22日だった・・・。

                            • -

12/20 (Wed)
 特筆する事項の記憶なし。すみません。

                            • -

 12/21 (Thu)
 オレゴンの某大学に派遣留学している教え子のOさんが、友人と共に我々の元を訪ねるとのことで、それにあわせて動いた一日。彼女は飛行機のJFK到着やバスターミナル到着が遅れて、我々の近くに来るのも遅くなり、午後3時ぐらいにコネチカット州ハートフォードのバスターミナルへ迎えに行く。初めて会うMさんを含め、元気そうで何より。我々の住まいまで案内し、車中でいろいろ話す。夜はホスト大学へ留学中のYさんも合流し、市内のレストランで夕食。皆前菜やメインをどう頼むか、何を呑むかで食べ方も変わるなぁとしみじみ実感。帰宅後にもう少し皆で呑んだ後、この日はお開き。

                            • -

12/22 (Fri)
 朝、現在のホスト大学やダウンタウンを案内して回る。寒い一日、防寒具が欠かせず、このあたりから寒波が始まったことを今思い出す。市内を案内した後、興味があるというマサチューセッツ現代美術館(Mass MoCA、我々が9月に行った先)へ運転していく。パイオニアバレーを西へ越えてからは見事な雪景色。美術館で彼らが鑑賞している間に私は読書したり軽食を撮ったりとのんびり過ごす。
 3時間ほど楽しく鑑賞を彼らが終えた後に、雪景色のNorth Adamsから再び戻る。妻にメールで確認したら我々の街も雪が降り始めたとのことだったが、戻った頃にはまさに積もっていた。景色は綺麗でも、雪があると運転などで緊張が増す。
 夜はOさんらの紹介で、ハートフォードへクリスマスキャロルの演劇を観に行く。私はこのストーリーの名前しか知らず、初めて劇で見たが、なかなか興味深かった。有名なクリスマス映画"It's A Wonderful Life"ともメッセージは重なるのかなと思う(クリスマスキャロルの方が歴史は古いが)。夜7時半の開演で、その前に近くのピザ屋で腹ごしらえをして臨み、夜は9時半過ぎに終わって帰宅。展示物を見ていると、市内で何年も前からやっているイベントらしく、こういう文化的な継続は学ぶことが多いなと思う。

                            • -

12/23 (Sat)
 朝に準備して出発。Oさんたちも我々もクリスマス連休をニューヨークで過ごす予定で、バタバタと用意しながら出発。前日からの雪と降雨で運転環境があまり良くないなか、彼らをハートフォードのバスターミナルまで送り、そこで一言告げてから別れ、我々は車で南下。New Haven駅隣の駐車場に車を停めて、以前と同じくGrand Centralへ電車で向かう。妻にとっても初めての旅路だったが、電車に乗る前に駅で昼食をとったからか、我々は二人ともNYCまでぐっすり寝ていった。
 Grand Central駅に着いた後、歩いて宿へ。予約していた宿の場所を同一チェーンの別店舗と勘違いし、余計に歩いたものの、無事に着く。寒波が続いていて徒歩が長くなると寒くなる。宿にチェックインした後、まだ明るかったので、少し遅くまで開館中と聞いていたメトロポリタン美術館へ行く。元々私はそれほど美術館が得意ではなく、あれこれ展示を見るたびに圧倒されて休憩が必要になるが、この時も休み休みしながら展示を見て回った。やはり有名なだけある美術館だなぁと感嘆。ただし、エジプトなどの古代美術品展示は植民地主義の収奪と重なる問題なだけに、あまり楽しめず他の展示鑑賞へ移っていった。
 夜8時半過ぎまでここで鑑賞した後、地下鉄に乗って宿まで戻り、最寄りの評判が良い店へ行って夕食。メニューは多くなかったが、美味しくいただく。芽キャベツ(Brussels sprouts)の美味しさに初めて触れ、妻と二人で感激。今まできちんと食べたことがあまりなかったが、これはなかなか興味深い食材で、発見に感謝。 

                            • -

12/24 (Sun)
 疲れが溜まっていたため、遅い起動。妻が出かけている間に、宿で年賀状兼年末年始挨拶カードの執筆&発送を始める。
 市内の近場を歩いた後に、総合郵便局で葉書用切手を大量に購入した後、いわゆるLower Manhattanを歩く。Sohoを歩いた後にYelpでコメントが多かったCafe Habanaで昼食を取り, Little Italyや中華街を歩き、ここからWTCのビルへ歩いてみたが、現地は長蛇の列。ビルの上まで上がって展望するのを諦め、前日行った美術館を再び訪ねる。有名なセントラルパークを横切って行ったが、寒波の影響で徒歩が寒かった。この日は夕方5時閉館だったため、4時半過ぎまでじっくり回ってみる(それでも見逃した展示は多々あった・・・)。
 夕食は宿泊先からあまり離れていない位置にあった韓国料理店へ。予約はしていなかったが、無事に入れた。妻とメリークリスマスを祝い、馴染みある味に舌鼓を打つ。これは我々の住む街にはないような店なので、行けて良かった。

                            • -

12/25 (Mon)
 メリークリスマス。前夜と朝は年末年始グリーティングカードの一言添えに勤しむ。住所用のラベルは用意してあったが、サイズが若干異なりハサミで調整。今年は例年より枚数を減らして用意したが、あとは無事に先方へ着き、それが喜んでもらえるよう祈るばかり。
 午前中は市内を歩き回る。抹茶ブームとは聞いていたが、実際にそういう店を各地で見つけて、途中でお茶をいただいた。この日は主にニューヨーク市南部(Lower Manhattan)を歩くため、地下鉄で南下。チャイナタウンで妻が目星をつけていた店が飲茶の雰囲気でなかったため、私がワガママを言って他を回る。細い点心系の店に入って美味しくいただいたが、乱暴な相席やカウンター着席はここならではのやり方だった。
 昼食をとったあと、引き続き街歩き。ブルックリンブリッジへ行き、約3分の1東へ渡る。しばらく前にブルックリンブリッジの交通渋滞が著しいという記事をNew York Timesで見かけたが、たしかにそれがわかる場所。こんなに観光客が多いとは思わなかった。古い橋ゆえ、それほど観光客が徒歩で渡ることも設計上は想定されておらず、歩いているうちにやや高所恐怖症的な不安が出てくる。適当なところで妻とともに折り返し、全部渡るのはまた後日へ後回し。寒波の影響でこの日も寒い一日。
 地下鉄でハドソン川方面へ。Chelsea Marketが閉まっていたので、カフェで少し暖まったあと、旧鉄道路線のHigh Lineを歩く。風が強く寒かったが、晴れていたので写真はいろいろ撮れた。もう少し季節が良ければ観光名所としても秀逸なのだろうが、あまりに寒かった・・・。14th Streetから30th Streetまで歩き、ここで十分満足。宿に戻って少し休み、カードの執筆を続ける。
 クリスマス当日のため、夕食はどこが開いているかわからず、日が暮れた後に街を散策する。幸いシーフード系の店が開いていたので、夕食はこちらにて。好きなJambalayaを食べられたので満足。

                            • -

12/26 (Tue)
 朝、妻がもう少し美術館を観たいとのことで、別行動に。私は宿をチェックした後、カフェテリアのスペースで黙々と遅ればせながらカードにコメントを書き、13時半ぐらいまでだいぶ書き終える。
 妻とGrand Centralで待ち合わせ、インド料理の昼食を駅構内でとった後、New Haven行きの電車に乗り帰路へ。約2時間の電車も毎回あっという間に寝ていて過ぎてしまう。New Havenへ無事に着き、車で北上して1時間40分ほどで帰宅。マサチューセッツ西部では不在時に雪が降り積もったことを改めて知る。

                            • -

12/27 (Wed)
 朝、大学体育館に行ってみて、バスケがどこでやれるかを初めて確認した。規模は大きくないが、シューティングできるだけでもありがたい。また時々来たいと思う。
 午前中、雪景色を確認するため、妻と散歩。たしかに雪や氷は綺麗だったが、あまりに寒く早々帰宅。
 日中は年末年始のカード書き&読書。今回は写真を我々が決めて、デザインはデフォルトのものをアレンジして使ったが、気にいってもらえるかな・・・。夜は妻と呑みながらいろいろ話す。この日でニューイングランドへ来てからちょうど4カ月。月日の経過は早い…。 

                            • -

12/28 (Thu)
 午前中、残っていた年賀状と追加分を書き終えて発送。一応無事に終わって安心。例年340枚前後送っていた者を今年あ200枚程度に絞ったが、SNSの普及もあり私が海外にいることを知る人も多いので、今年の未送付は理解してもらえたらと願うところ・・・。夕食は残り物で。休肝日。

                            • -

12/29 (Fri)
 寒波は続き、朝からマイナス10度以下と冷え込む。この日からボストンで年越しをするため、諸々準備。パッキングやメール対応を終え、10時過ぎに出発。
 ボストンに行く前にWorcesterへ。11時半過ぎにWorcesterに着き、留学時代から知っていたZinaと夫のRobertに久しぶりに会い、昼食を共にする。店自体はやや変な場所にあったが、カリブ海地域のベジタリアン料理を提供する珍しいものだったので、着席して食事しながらいろいろ話す。彼らも結婚後もうすぐ10年か〜。Robertに会うのは久しぶりだったが、元気そうで何より。Zinaには留学最終年に半年だけ住む場所が見つからず困っていた時に助けてもらった。当時の思い出や近況などをいろいろ話し、13時前に別れる。
 我々はここから高速道路(I-90, Mass Pike)に入ってボストンまで運転、予約していたBrooklineの宿まで一気に向かう。ボストン市内方面への運転もだいぶ慣れてきた。14時過ぎに宿にチェックインして、まだ時間があったので、ボストン美術館(MFA)へ行ってみる。入館料を検討し夫婦ペアで年会費会員となることにした。妻がMark Rothkoの特別展を観たいとのことでまずそれを観に行き、その後に村上隆の特別展も観て、あとは個別に移動。アメリカの絵画を観たくて回ったが、初期アメリカ史に出てくるハミルトンやワシントンの絵が展示されていたのが印象的だった。
 6時半過ぎまで美術館で過ごし、宿の方面へ戻る。ボストンの地下鉄(通称"T")利用に便利なチャーリーカードの販売店を調べて帰路で購入し(今までなかなか見つからなかったがようやく買えた…)、Coolidge Cornerにある店(Prairie Fire)で夕食。数日前のボストングローブ紙に紹介されていた店で、少し待たされたものの、美味しく呑み食べることができた。スーパーのTrader Joe'sに寄ってビールと菓子類を買いこみ、宿に戻って二次会。帰宅時は電光掲示板で華氏7度(摂氏マイナス13度)と表示されていた。外は寒い・・・。クリスマス後の年末は大学フットボールボウル戦の時期で、夜は部屋でTV観戦。コットンボウルは全米5位のOhio Stateが同8位のUSCを粉砕、もう少し接戦になってくれたら面白かったのだが仕方ない。 

                            • -

12/30 (Sat)
 朝、身支度をしてからボストン市内北部のイタリア人街へ。妻が調べて見つけた店へ、朝食兼昼食を取りに行く。今日も摂氏マイナス10度以下で寒く、数分の徒歩も辛い。
 行った先は一見何の飾りもない店だったが、中に入ると既に10人以上の列ができていた。どうやら生粋のイタリア式Calzoneやピザを売っている店で、派手さはないが価格は良心的。現金決済のみとしているところに、昔ながらの人気店という印象を持った。ホウレンソウとチーズとひき肉が入ったCalzoneが絶品。地元の人が知る穴場的な店だと思う。
 食後、近くの菓子店で妻がスイーツを購入した後、昨日に続いてボストン美術館へ。私は昼食を食べ過ぎたせいか、美術館に着いてからソファに座ったまましばらく寝てしまう。美術館鑑賞はこの日も単独で分かれて行い、私は主に19世紀のアメリカ絵画や近世のヨーロッパ絵画を鑑賞した。途中で火災報知機が鳴り、全館で避難指示が出たのも御愛嬌かな。書店も観たが、先日行ったニューヨークのメトロポリタン美術館に比べて地域史的な書籍がなく、地図関係の書籍もなくて残念。
 16時半ぐらいまで美術館で過ごしたあと、少し早かったが夕食のため近くにあるオイスターの店(Eventide)へ。ここも妻が調べて見つけた店で、カウンターで注文した後に料理を別のカウンターで受け取る斬新なスタイル。名物の牡蠣はメイン州マサチューセッツ州から5種類ずつ用意してあり、それらがカウンターで見えるように陳列されていたので、私と妻で貝殻を見ながら種類を選び注文。産地の違いでこんなに牡蠣の見栄えも異なるとは知らなかったし、小さい牡蠣でも味が濃厚であることがわかるなど、とても興味深かった。結局妻と私で4種類を半ダースずつ全部で2ダース(24個)食べたが、どれも旨い!生ガキを美味しくいただく。この店はチップをとっていなかったため、声をかけてきたウェイターさんに聞いてみると、皆その方針に喜んでいるとのこと。チップ制は長所もわからないではないが、長期的にはない方が良いだろうし、今後アメリカ国内でどう展開するか見守りたい。新規の人気店でチップ制を廃止する方向が続くと、次第に普及するのではないかと思う。今回の店はメイン州ポートランドの店がボストンに進出した二号店だったらしいが、立地も悪くないし、ぜひ成功して欲しい。
 店を出てFenway Parkの横を通り、Kenmoreの駅前で見つけた酒屋でビールを買い足し、宿へ戻る。前夜に続き、大学フットボールの試合をTV観戦。全米7位のPenn Stateと同9位のWashingtonが対戦したフィエスタボウルはそこそこ接戦になったが、最後はPenn Stateが勝利。全米6位のWisconshinと同10位のMiamiが対戦したオレンジボウルはWisconsinが少しずつ差を広げて勝利。生産的でないと自覚しつつも、こういう時間が過ごせるアメリカ生活に感謝。滞っていた日々の記録も、試合を観ながら書きあげていた。

                            • -

12/31 (Sun)
 前夜遅くまで起きていたため、朝は遅めの始動。用意してからダウンタウンのチャイナタウンへ行き、飲茶を食べに行く。妻にとって初めてのカートワゴン移動式の飲茶。私はこれを食べながら、10代に過ごしたサンフランシスコでの日々を思い出していた。本当に時折ではあったが、今は亡き実父は母そして私を含む4人の息子を広東系の中華料理店(Hong Kong Flower)へ連れていってくれ、私はその際に食べた飲茶で骨付き豚肉の煮付が大好きで、回ってくるワゴンから何度も取って食べていた。しかし、決して家計が健全ではなかった当時、小学校から中高まで食べ盛り4人の息子を飲茶へ連れて行ったのは、料金も高くついて大変だっただろう。結局諸々の事情で両親は後に離婚し、我々も帰国したため、アメリカで食べる飲茶はそれきりとなっていた。日曜ということもあり、この日の客入りは満員にまではなっていなかったが、料理や雰囲気はいろいろ昔を思い出させる機会でもあった。
 飲茶で満腹になった後、妻は買い物へ。私はスタバで読書しながら過ごす。妻の買い物を終えてから二人でボストン市内を散策。ただ、非常に寒く、市の中央公園(ボストンコモン)へ行くと大晦日の恒例イベントである花火が中止となっていた。それほど酷寒なのか・・・と実感。コモンを歩いていると二人とも寒さに耐えられなくなり、ショッピング街にあったNordstrom Rackに入って暖を取る。トイレの洗面台で温水を流しながら手を洗ったら、手が霜焼け気味になっていたようで、手が解けるような感覚だった。襟巻や手袋を買い足し、宿に戻ることにする。
 地下鉄Green LineでCoolidge Cornerまで行き、宿のそばにあったベトナム系の店で夕食をとり、すぐに宿へ戻る。のんびりビールを飲みながらTVをつけつつ日々の記録を書いているうちにカウントダウンの時間へ、そのまま新年となりハッピーニューイヤー!テレビでボストン市内の花火が生中継され、宿のそばでも花火を上げているらしい音が聞こえた。2017年に経験した&出会った様々な人や事に感謝。2018年が充実した一年となりますように。

ニューイングランド生活 第14週・第15週・第16週

11/27 (Mon)
 朝は気持ちよく目覚める。いつもどおり出勤。数日不在だった分のキャッチアップをいろいろ進める。読むべきものがたくさんあるが、なかなか進まず反省。夜は中華麺とスープ。こういうものが食べられるのは嬉しい。連休で太ったかと思っていたが、意外に体重は増えていなかった。

                            • -

11/28 (Tue)
 朝、久しぶりにトレイルをランニング。往復約4kmぐらい、寒かったが心地よかった。冬の間もなるべくこれを続けたい。
 日本から送ってもらったEMSがなかなか届かず、ようやくこの日に到着。書類に目を通しながら、いろいろ処理する。夜は鍋。無理のない範囲で昼食抜きダイエットをしているので、夕食が美味しく、いくらでも食べられ呑める気分。

                            • -

11/29 (Wed)
 筋肉痛があったので、朝はいつもどおり。終日、大学で翻訳作業や文献探し。27日を過ぎて、もうあっという間に4ヶ月目、少々焦りを感じる。夕方6時までやって帰宅、夕食後は妻の送迎。

                            • -

11/30 (Thu)
 特筆する事項の記録なし。すみません。何か思い出したら、後日加筆します。

                            • -

12/1 (Fri)
 朝いろいろ用事を済ませた後、10月に受けてしばらくやっていなかった運転免許の路上試験を受けに、GreenfieldのRMVへ行く。路上試験はこれまで3回落ちていて、どれもそれなりの理由を言われていた。悔しい思いだったので、とにかく同じミスをしないよう心掛けながら、慎重に対応する。今回の試験監督者は以前1・2回目の路上試験で私を不合格とした人。また同じ人と当たったことで緊張が増したが、とにかく焦らずミスがないよう気をつけて受ける。ハンドシグナルの確認、車体の確認、路上に出て右折・左折、バックを20mほど、3ポイントターン(障害物がない場所で左折・バック・左折で行うUターン)、縦列駐車、などなど。これまでやったことと同じだったが、大きなミスはなかったと思う・・・と思いながら試験場へ戻る。
 試験場のRMVに到着し、最後に少し会話でこれまでの不合格の理由・自己分析を話したあと、無事に合格を伝えられ、用紙に印を押される。Wow, yes!!! ようやく合格!これまでの滞在期間で路上試験の不合格がずっと自分のトラウマとして残っていただけに、ようやくそれが解消されて本当に良かった・・・(涙)。「スポンサー」として何度も同乗して下さったJさんも喜んでくれて、感謝。彼には本当にお世話になった、深謝多謝。RMVの受付に戻り、運転免許申請書を提出して無事に受理され、年内有効のペラペラな免許を受け取る。数日後に自宅へ正式な免許が郵送されるとのこと。これで一安心。帰宅して妻も喜んでくれた。本当に良かった・・・。
 夜は大学街の中心部の大きなレストランにて、妻の友達との会食。ブラジル系、中国系、トルコ系などいろいろな人がいた。皆明るく、楽しく話せて良かった。路上試験合格で呑む気満々だったので、夕食時からビールを22oz(約700ml)で2杯飲む。その後、呑み足りない人たち6人で、近くの店で二次会。WorcesterのBe Hoppyが生ビールで売っていたのが意外な収穫。6人でピッチャーを3つ、まぁまぁ呑んだかな。学部生の客が増えて急にうるさくなってきたので、10時半過ぎでお開き。忘れられない一日になった。

                            • -

12/2 (Sat)
 朝、ノーサンプトンで開催されている冬季の室内ファーマーズマーケットへ。さすがに野菜を売っている店はあまりなかったが、Honey Crispとフジを交配した新しいリンゴの品種を売っていたので、それをまとめ買いする。これ、蜜もあるし堅さもカリッとしていてなかなか美味しいので、日本にも出てくるといいな(あるのかな?)。
 その後、コネチカット州ハートフォードまでドライブ。ドライブといっても買い物がメインで、まずは腹ごしらえで、妻がYelpで見つけたベトナム料理店へ。Google Mapのナビに沿って行ったところ、どうもこの地域のアジア系住民のコミュニティの中心的な施設だったようで、ベトナム料理店だけでなく、中華料理店、そして大きなアジア系スーパーがあった。2003年に留学仲間と旅行でアトランタを訪ねた際に、郊外地域を何気なく運転していたら韓国系のスーパーやレストランがたくさん出てきて、田舎に留学していた我々は小躍りした・・・そんな時のことを思いだした。この店は中国系が中心だったが、日系・韓国系・ベトナムやタイなど東南アジア系など様々な国のものが売られていた。今住んでいる小さな大学街にも台湾系の方が経営する小さなアジア系スーパーがあり、我々も時々そこを利用するが、ここは比較にならない規模の大きさ。意外な場所を見つけて面白かった。
 前述のアジア系の店で買い物をした後、ウエスハートフォードにある日系スーパーを訪ねる。ここは妻が行きたがっていた場所。店も日本人の方が経営しているようで、一部の商品を除いてほとんどが日本のメーカーの商品だった。大学院留学時代だったら高くて買わなかっただろうけど、今は買えないこともない。買い物の選定は妻に任せて、私は小さな店の中をぼんやり歩いて回った。それを終えた後、偶然にも向かいにWhole Foods(アメリカで規模拡大を続ける高級食品スーパー:数か月前にAmazon.comが買収)があり、ここでも買い物。マサチューセッツで見なかった地ビールがいろいろあったので、それらを買う。結果的にはアジア系・日系の店よりもここで大人買いをしてしまった(苦笑)。
 家に着いたらちょうど日が暮れた時間。ケンタッキー大のバスケの試合がTV放映されていたので、それを見る。あとは大学フットボールの地区大会決勝がいろいろ行われていたので、チャンネルを変えながらいろいろ観る。買い物の帰りで妻が体調を崩し、帰宅後すぐに寝てしまったため、私一人でビールを飲みながらスポーツ観戦。こういう時間も日本ではあまりもてていなかったなぁと感じる。

                            • -

12/3 (Sun)
 前夜の酒が残って、やや遅くまで寝る。朝食後も朝寝(苦笑)。冬の日曜はNFLの日、TV観戦しながら溜まっていた新聞に目を通し、メモをツイッターに記録。昼に少し買い物。浴室用にシャワーカーテンを選んで買ったが、結局防水機能はイマイチで残念。  
 夜は残った野菜や豆腐で鍋。妻と二人で美味しくいただく。Sunday Night Footballを少しTV観戦、好調フィラデルフィア・イーグルスが敵地シアトルでシーホークスに粉砕されていた。

                            • -

12/4 (Mon)
 朝、新聞を取りに外へ出ると寒い。霜が普通に見られるようになった。日中は普段通り図書館のオフィスにて。いろいろ読んだり、メール対応したり、翻訳を続けたり。翻訳は少しペースを上げなければ・・・。
 夜は夕食、妻の送迎、いつもどおり。この日は休肝日。こちらに到着した8月27日の事故に伴う追加のコストを加害者の保険会社に求め続けて3カ月、補償金となる小切手がこの日の郵便で送られてきた。当初のレンタカーはH社の失態にクレームしたことで全額返金となったものの、大破したキャリーバッグの補償&Uber使用料&現地での追加のレンタカー使用料金は加害者の保険会社が払うべきと長い間交渉してきた結果、それらの代金がレンタカーの任意加入保険分を除いた額で補償される運びとなり、ようやくそれが概ね戻ってきたことにホッとした。あまりドルの現金をこちらへ持参しなかったこともあり、今回の補償額は残る8カ月の滞在時に役立つだろう。「交渉してナンボ」のアメリカを久々に実感した気分。

                            • -

12/5 (Tue)
 朝、妻の友人2人がランニングを一緒にやろうということになり、この日から朝8時に我が家へ集まって、近くのトレイルでランニングを始める。それほど速いペースではなく、話しながらのジョギング。中国系タイ人のCherryが「朝ごはんを食べてきたからお腹が膨れる〜」と言いながら歩いたり走ったり。この日は皆1.5マイル(2.4km)で引き返し、私はもう0.5マイル行って折り返したので、全部で4マイル(6.4km)走った。妻と二人だけだとサボることも多いので、こういう機会はありがたい。
 帰宅してシャワーを浴びてから大学へ。いつもどおりあれこれ作業。日本の本務校では語学としての英語科目も担当することから、こちらで接するニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナルの記事を読むたびに「こういう記事で授業ができないかな〜」と思う。世界やアメリカの諸側面を知るうえで興味深い記事が多くあるゆえ、私の関心に偏っているのは否めないが、ダメかな・・・。
 朝走って、昼前に軽食を取っただけでずっと仕事したので、帰る頃には空腹。帰って呑みたいなと思い、妻と夕食を取りながらビールや白ワインを飲む。いろいろな話ができて良かった。実はまだクリスマスの期間をどう過ごすか決めていない。ボストンで年越しをする案もあり、どうしようかなと思案中。

                            • -

12/6 (Wed)
 前夜の酒が少し残った感覚。今朝も妻の友人らとランニング。この日はJoannaの夫Phillipeも加わった。前日とは反対側となるトレイルの東向きでジョグ、皆は1マイル(1.6km)で折り返し、私はさらに0.5マイル走って折り返して、合計3マイル(4.8km)。でも、前夜の酒が残っていたからか、復路はキツかった・・・。
 帰宅してシャワーを浴びてから大学へ。いつもどおりいろいろ作業。日本の勤務時もそうだが、朝ランニングをするとアドレナリンが一日持つので、日中は割と集中した時間が過ごせる。翻訳は少しずつ少しずつ。あと、こちらに来てから溜まっていたジャーナルアラートに目を通し、関連しそうな論文を少しずつDLする作業も行っており、一時は3000通以上溜まっていたメールも読んだり整理(削除)したりで1200通ぐらいまで減ってきて、このまますっきりさせたいところ。論文をDLして印刷して読まないと、アラートメールは受け取りっぱなしになってしまうので、今のうちにしっかり追いつきたい。
 妻が夕方から出かけていたので、夕食は一人で軽くとり、夜9時に迎え。出発前の時点で車に霜がおりており、既に氷点下になっていた。これから寒くなるなぁ・・・。

                            • -

12/7 (Thu)
 朝、前日に続き妻の友人2人を含めた4人でランニング。初回と同じ南西向きのコースで、皆は1.75マイル(2.8km)まで走り、そこで引き返す。私は今回もそこからさらに0.5マイル走り、往復で4.5マイル(7.2km)走る。一時止まっていたランニングが再び復活してきた感じで、心地よい。さらに、寒い寒いと言っていた割には走り出すとそこそこ温まるので、良い運動だと思う。あとは冬にこれがどれだけ続けられるかかな・・・。日本で同じように行う場合、今より1時間半早く起きて始めないと(苦笑)。
 終日自宅で作業。運転免許がそろそろ郵送されてくるかなと期待したが、この日も届かず。ま、果報は寝て待てか。9月に口座を作った信用組合へ午前中に先日の小切手を換金・入金しにいき、これで一安心。昼食は妻とダウンタウン中心部より少し北にある西安系の中華料理店にて。手でこねた自家製麺が美味しい店。11月にテイクアウトで食べた時も美味しかったし、餃子や辛麺が酒に合うので、また来たいと思う。
 午後、住まいを出てハートフォードのブラッドリー空港へ。今日から4泊5日で第二の故郷であるケンタッキー州レキシントンへ向かう。ハートフォードからオハイオ州シンシナティへ直行便が出ており、シンシナティまで飛んで、そこからレンタカーでレキシントンへ。空港がオハイオ川左岸のケンタッキー州側にあり、ここから幹線の州間高速I-75号に出れば、あとは昔何度も通った道で懐かしい。今回は地理学科の教員であるPatriciaの家に泊まる。私の留学時代の2005年度に、ケンタッキー大学地理学科は学長裁量で教員純増採用が認められ、その人件で新たに4人が採用されたが、その時に採用されたうちの一人がPatriciaだった。当時の私は採用人件へ大学院生の総意・見解を伝える院生代表を後輩のLaurenとStephanieとともに務めたため、この時に加わった人々に関しては思い入れが深く、今も多くとつながっている。オハイオマイアミ大学から移ってきて11年、今は准教授ながら学科主任を務めている。彼女の家に着いたのが夜9時半ごろで、少しばかり呑みながらいろいろ話す。今回の訪問は完全にプライベートなもの。自分を育ててくれたこの地理学科と、6年半住んだレキシントンは、ずっと自分にとって「第二の故郷」であり続けると思う。

                            • -

12/8 (Fri)
 Patricia宅からケンタッキー大学へ。懐かしのキャンパス歩き。地理学教室も訪問。学部長補佐をしているRichにあったり、引退した指導教員のKarl Raitzとランチしたり。
 午後は地理学科で毎週金曜に行われるコロキウム(研究発表会)に出席。イマイチテーマが分かりづらい内容だったが、昔の知り合いとも会えて良かった。そこからそのまま馴染みのLynagh'sにてHappy Hour、夕食はPatriciaとパートナーの3人で呑みながらいただく。

                            • -

12/9 (Sat)
 朝からすごく冷え込む一日。午前にレキシントンファーマーズマーケットへ。店舗はそう多くなかったが、ダウンタウンの常設施設へ移った後、そこがビニールシートを張って防寒しているのが新しい姿だった。マネージャーの方が私を覚えていてくれたのも感謝。そのあと大学書店へ行き、めぼしいテキストがないか見た後、自分が好きだったCajun料理の店へ行きランチ。相変わらず安くて美味しい。日本にもあると良いのだが・・・。
 知人がオープンハウスをしていると聞いたので、昼からそこへ行く。まだあまり人もおらず、今回のホストであり以前ケンタッキー大地理学科の教員だったMichael Crutcherとともにケンタッキー大のバスケの試合をみながら近況を語る。のんびりしたところは変わっていないなぁと感じる。その後に少しずつ顔見知りの訪問者もあり、いろいろ話していた。その頃から雪が舞い始め、夕方には路上一面が雪化粧となる。夜のイベントに運転していくつもりはなかったので、適当なタイミングで退席し、いったん車をPatriciaの家へ運転していき、少し作業。
 夜はダウンタウンの会場へ向かい、地理学科のホリデーパーティーに参加。とても広く快適なところで、料理も豊富にあり、美味しく楽しめた。昔は小さかったWillが大きくなりバーテンダーとして作業しているのも微笑ましく、一緒に写真を撮る。懐かしい先生や知人、そして若い大学院生の諸氏と話し、いろいろ知る機会となった。初めて会う現役の留学生何名かとも話す。私の在籍時は私と1年上の韓国人院生Kyongwhan Parkと2年下のインド人院生Priyanka Jainの3人しかいなかった。ケンタッキー大の地理学科はずいぶん国際化(これって死語?)したなぁとしみじみ実感。夜11時ぐらいにお開きとなり、片づけを手伝った後にRettとPatriciaと帰宅。この週末にあわせて来て良かった。

                            • -

12/10 (Sun)
 朝、少しPatriciaと話した後に出発。彼女たちもいろいろ仕事があるだろうと配慮し、少し早めにお暇する。今回のホストに感謝。前夜の雪はまだ残っていて、一面雪景色。
 ニューイングランドに戻るフライトが月曜早朝で、ホテルに泊まるのももったいなかったので、24時間開いていると言われるシンシナティ空港で一晩を過ごすことにする。その前に、レキシントンで最大の書店Joseph Beth Booksellersへ行き、書籍を物色。一般書でも興味深い物がいろいろあり、つい大人買い。一時「本屋ホテル」が話題になったが、空港で読みながら時間を過ごすには十分な量。3時間ほどじっくり過ごす。レキシントンの名物である南部料理レストランRamsey'sで昼食をとった後、シンシナティ空港へ。レンタカーを返却し、今回使用したE社の利用の安さにビックリ。3日間借りて90ドル程度。今までH社を使っていたのが大きな無駄だったことを改めて痛感。
 シャトルバスで空港に行き、着いたのは夕方4時半ぐらい。翌朝のフライト向けにチェックインができるか不安だったが、しれっと発券してセキュリティを通り、特に問題がなかったようで一安心。シンシナティ空港は現住地の最寄りであるハートフォード・ブラッドリー国際空港よりもはるかに大きく、今もエールフランスシンシナティ・パリ間の直行便を飛ばしていたことを知り、規模の違いを実感する。デルタ空港の中規模ハブであることも大きいのだろう。ビール飲みながら読書しようと思って入ったMax & Emma'sの店で、呑みながら閉店まで読書・スポーツTV観戦を楽しむ。ターミナル内のどこで寝て良いかわからず、適当な椅子で斜めに座って読書していたら、「XX番ゲートのそばにソファがある」と教えてもらい、そこで本を読みながら寝る。夫婦で来ていたらこんなことはしなかったけど、一人ならまぁ良いでしょう。

                            • -

12/11 (Mon)
 これを書いているのは12/30。この後の日々は何をしたか忘れていることも多いので、わかる範囲にて記述します。

 朝5時前に目が覚めて、顔を洗ってから搭乗予定フライトのゲートへ。朝6時過ぎの出発だったので、これで良かったと思う。機中はほとんど寝ていたが、オハイオ川を北上すると途端に地上が真っ白に見えたので、土曜の雪が結構多かったことを知る。ハートフォードに着くころも、周囲は一面雪景色。ニューイングランドもたくさん雪が降った様子。無事に到着し、パーキングの車に溜まった雪と氷を取り除いて、出発。1時間ほどで現在の住まいに戻る。
 帰宅後はいつもどおりオフィスに行って仕事。あれこれ読んだり翻訳を進めたり。夜は妻の送迎。

                            • -

12/12 (Tue)
 ロードアイランド州の某大学に半期留学していた教え子が私の住まいのエリアを見に来たいとの連絡をもらい、朝から運転でNewport, RIまで行く。天候は悪かったが、なかなか興味深いドライブ。Newportに行くための橋を渡り、かつて貿易港として栄えた街を初めて訪ねた。教え子のTくんと落ち合い、学んでいた大学や市内の各地を少し紹介してもらい、写真を撮りながら散策。雨模様だったのが残念。彼を連れて我が家へ。片道約2時間半の運転。その間に今学期の学びの内容や彼のこれまでについてなどをいろいろ聞けて、興味深い時間だった。
 帰宅したのは既に日も暮れた午後6時頃。夕食をどこに行こうか考えたが、「メキシコ料理を食べたことがない」と言っていたので、市内の気になっていた店へ。Burrito中心のカジュアルな店だったが、彼が喜んで食べていたので安心した。帰宅して少し話してから、本日はお終い。だいぶ運転にも慣れてきたことを実感する。

                            • -

12/13 (Wed)
 双方の事情で本日までしか空いていなかったため、朝から駆け足でホスト大学や街中を案内する。新島襄肖像画を見ると、誰もがいろいろ思いをはせるだろう。肌寒いが、前日よりも太陽が射して、運転には向いていた。
 11時半ぐらいに帰宅してから荷物を確認し、妻も同乗して再びニューポートへ。前日に比べて視界が良かったため、プロビデンスの南側からニューポートへ渡る橋とその両脇もよく見えたし、ニューポートに点在する港の様子や丘陵状の豪邸も見られて、妻にも紹介できて良かった。Tくんに海岸沿いの写真スポットも教えてもらったが、あまりに風が強く寒かったため、急いで写真を撮ってすぐに退却。Tくんを大学に送ってから、我々の大学街まで急いで運転で戻り、夕方5時過ぎに到着。
 少々帰宅を急いだのは、この日の夜にホスト大学学長主催のパーティーが企画され、招待状を受け取っていたからだった。帰宅後に急いで着替え、寒かったので学長宅そばまで車で行き、そこから歩いて行く。声をかけて下さった先生が「奥様もぜひ一緒に」と書かれていたので、妻とともに行ってみた。残念ながら面識のある先生があまりおらず、やや孤立状態の時間帯であったが、現在の私のオフィスの隣に学生対応用のオフィスを持っているA先生ほか何名かと会ったので、いろいろ話す。家族を連れて来ていた人はほとんどいなかったので、妻に孤立させてしまったのは拙かったと反省。
 受け取っていた案内は19時半までと書いてあったが、本当にその時間にあわせて皆退室していったので、我々もその頃に出る。学長とはワインを注ぐ場で少し言葉を交わした程度しか接点がなかったので、また機会を模索したい。我々二人とも消化不良だったので、帰宅して食べ呑み直し。

                            • -

12/14 (Thu)
 特筆する事項の記憶なし。すみません。何か思い出したら、後日加筆します。

                            • -

12/15 (Fri)
 特筆する事項の記憶なし。すみません。何か思い出したら、後日加筆します。

                            • -

12/16 (Sat)
 朝、隣町のNorthamptonへ運転し、冬季ファーマーズマーケットへ。野菜やチーズを買いこむ。こういう冬季用の常設型マーケット用施設があるのは良いなと思う。ここから妻が気になっていた市内のアンティークショップを数軒回り、古本屋もあったのでそこで買い物した後、市内のブリュワリーレストランへ。昼食の内容はまぁまぁだったが、販売していたビールが購入して自宅で飲んだら絶品だった。これは今後もおさえておきたい逸品。
 昼はケンタッキー大のバスケ試合が全国放送されていたので、それを観る。無事に勝って一安心。その後の夜については失念。

                            • -

12/17 (Sun)
 天気が悪かったので、一日家で読書などをしながら過ごした日。こちらは新聞の日曜版が分厚いので、読み応えがある。NFLの試合を見つつ、ひたすら読んでいた。

ニューイングランド生活 第12週・第13週

(2018年に入ってから2週間以上空けてしまいました。すみません、順次アップロードしていきます)

11/13 (Mon)
 この日コルゲート大でゲストレクチャーすることになっており、前夜から頭を悩ませながら内容を練る。一応内容を固めて、朝チェックアウトした後に大学へ向かう。コルゲート大学は丘に沿ってできた、きれいなキャンパス。ただ、前夜に雪が降った影響で、あまり緑が見られないままだった。
 ゲストレクチャーは久しぶり。小規模のクラスで、意見を聞きながら進めた。でもちょっと結論のまとまりが悪かったかな・・・。少し反省。こういう機会を大事にしたいと思う。
 午後2時半ごろにゲストレクチャーを終え、少し雑談してからYさんと分かれて出発。ずっとどんよりした曇り空で、積雪の程度が各地で少しずつ違うのが興味深かった。途中すごい霧の中を運転したことで、少し帰宅が遅れる。なんとか妻のクラスには間に合って良かった。家に戻り、ビールを飲んでホッとひといき。

                            • -

11/14 (Tue)
 久しぶりに住まいの寝室で目覚める。朝、8月27日の事故の補償に関して、1カ月以上音沙汰がない保険会社へ電話。担当者の上司の名前を教えてもらい、そこに留守電を入れる。
 日中は翻訳作業、いろいろ読んだり、溜まっていたメールの返信をしたり。
 夜、妻の調子がまだ悪いようだったので、外出はせず、テイクアウトの料理を買って帰る。2017年11月14日の今日は、私が留学時に博士論文の口頭試問を終えて合格し、博士号取得と留学修了が決まった日から10年、そして妻と入籍してから8年の記念日。留学後の10年がどう展開するか、自分でも全く想像できなかった。今の私は決して自分だけの力で成り立ってきたわけではないので、ここまで歩めたことと支えてくれた多くの方々に感謝。同時に、それまでの過程で多くの恩人や親類など大事な人々が亡くなっていき、別れを経験する10年でもあったと思う。次の10年をまた有意義なものとなるよう、様々な困難を克服しながら臨みたい。

                            • -

11/15 (Wed)
 この日も終日オフィスで作業。日本から届いた郵便物に関して諸々の対応。10月から11月にかけて予想以上に出費があったことに気づき、少し反省。
 昨日電話した保険会社から反応があり、8月の事故に関する弁償の手続きが進みそうな流れに。10月に入ってから音沙汰が全くなくなったので、困っていたが、ようやく打開策が出たかと思うと少し安心。

                            • -

11/16 (Thu)
 午前にいつもどおりオフィスへ、いろいろ読みながら考える。昼にかつて日本へ来ていた大学生(知人の元教え子)と会い、次また日本へ行く機会について相談を受ける。その学生はロサンゼルスのコリアタウン出身の子で、雑談から近年のコリアタウンの変化についていろいろ教えてもらう。応募の締め切りが近いとのことで、うまくいくことを祈りたい。
 夜、シリーズの最終回となる対談イベントを聞きに行く。合衆国政治の保守派メディアの重鎮であるBill Kristolが今回の主役。早口で、でも非常にクレバーに語る方だなぁという印象。彼なりの保守の意見は十分理解しつつ、国際問題をどう見るのか、やはりアメリカ第一だなぁと感じた。ただし彼はトランプに対して批判的なのも興味深かった。対談後に参加者からの質問に答える場面があったが、どの質疑応答もやりとりは簡潔が一番と実感。質問に対するKristolの回答は毎回長すぎた。同時に、キャリアとして政界に興味を持つ学生も少なからずいることを知り、貴重な機会だった。

                            • -

11/17 (Fri)
 朝、日本にいる研究仲間とSkypeで共著論文の校正について話し合う。それを終えてから大学へ。雨模様の薄暗い空の天気。図書館が午後5時に閉まるとのことで、それに合わせて帰る。ちょっとボーっとしていて、何も進まなかった反省の1日。

                            • -

11/18 (Sat)
 前日に続き、薄暗い曇り空の日。妻の体調が改善しなかったので、一人で自転車でダウンタウンファーマーズマーケットへ。2017年最後のマーケット開催日。ここで販売している日本人の生産者に粗品を渡し、いろいろ話す。出店者はピーク時より減っていたが、野菜やワインやドーナツなど、いろいろ買えてよかった(少々大人買い)。来週以降は屋内の施設で行っているらしいので、それらも観に行こうと思う。
 帰宅して軽く昼食をとってから、溜まっていた新聞に目を通し、メモ用と廃棄用に分けていく。これらの記事を使いながら英語の授業ができれば良いのだが・・・。午後3時半から母校ケンタッキー大学とジョージア大学のフットボールの試合が全国放映されていたので観戦しながら作業していたが、結果は惨敗。残るは2試合ぐらい。今年はボウルに行けるかな・・・?
 久しぶりにテイクアウトのピザを買って食べたが美味しかった。私はビール&ピザの組み合わせが大好きだが、こちらに来てからあまりそれを食べていなかったことに気づかされた。

                            • -

11/19 (Sun)
 曇り空から少し晴れ間が見える日。午前中に新聞を読みながら2度寝してしまう。いよいよ感謝祭の時期となり、近くのスーパーに行ったら関連商品が山のように売られていた。集めていたクーポンを活用し、水やティッシュや缶詰などを買う。また週末に出かけるので、しばらく買い物は不要となりそう。
 共著論文の校正作業をPDFで終えて送稿。うまく変更が反映されると良いのだが。家でNFLを見ながら、いろいろ記事や本を読む。新聞についているパズルがなかなか興味深く、計算系のものはやりだすとちょっとハマる。クロスワードパズルを教材的に利用できないか考えてしまう。実践例はあるのかな。夕食は前日の残り物&ビール。各地でいろいろなビールを買うようにしているが、IPA(インディアペールエール)の種類でも微妙に当たり外れがあることを実感する。

                            • -

11/20 (Mon)
 朝、いつものように図書館のオフィスへ。本務校での来年度の秋学期の科目についてボチボチ考えねばならない時期となり、いろんな記事を読みつつ、日本とのメールのやりとりが続く。気づいたらもうすぐ3カ月で、心に焦りがでてきた。1日1日を大事にしないと・・・。感謝祭連休は出かけるため、この日は禁酒。朝晩が冷えるようになり、妻の送迎も車なしでは辛いだろうと思う。毎回送迎の際に会う各国の方々との短い会話が楽しい。

                            • -

11/21 (Tue)
 朝、日が射していたので、妻と久しぶりに40分ほどウォーキングに行く。長引く風邪がここで完治すれば良いのだが・・・。
 朝食後、近くの店へ散髪へ。当初行った先が閉まっていたので、大学町のダウンタウンへ移動し、以前見かけた店に入ってみる。明るくいろいろ話せる60代ぐらいの男性が手際よく切ってくれて、今までとそう変わらない感じで散髪してくれた。シャンプーシャワーなしのカットのみで15ドル&3ドルチップ。アメリカの散髪は日本より手軽な価格なのが好き(日本も随分安い店が増えてきたが、質はどうかわかりません)。
 一旦帰宅してシャワーを浴びてから、大学へ。オフィスで5時間ほど諸作業。週末の遠征のルートや、会う人とのコンタクトなどを確認する。良い形で晴れることを願いたい。夕方に帰宅して、遠征前の土産購入を兼ねた買い物のためAtkins Farmsへ。ここは地元の商品をたくさん置いている店で、PB商品販売だけで全国展開するTrader Joe'sよりも私はこちらの方がずっと好き。土産に買ったものが良い味であることを願いたい。
 夕食後、丸善出版の方と某近刊書の地図に関する校正の議論をスカイプで実施。初校、二校、三校とスカイプで議論したが、ここまで一緒に話した編集担当の方は久しぶりかも。無事に年内に出て、そして願わくばよく売れるといいなぁ。

                            • -

11/22 (Wed)
 曇り空で小雨の朝。翌日からの感謝祭連休のため、この日からペンシルバニア州の友人(先輩)一家を訪ねるため遠征。本当は朝8時半ぐらいに出るつもりだったが、準備にバタバタして午前9時15分ぐらいに出発。いつものようにI-91の高速道路に出て南下、コネチカット州ハートフォードからI-87号を西に向いて運転、コネチカット州を西進、ニューヨーク州を横断、そしてペンシルバニア州に入り、少しずつ南下・西進。途中1度休憩し、そして昼食はバーガーキングで簡単にとり、ひたすら運転する。午後3時〜4時ぐらいに着く予定と伝えてあったが、そのとおり3時半過ぎぐらいに着く。妻が持参したスマホのグーグルマップの行き先指示が便利なのが改めてよくわかった。
 ケンタッキーでの大学院時代に1年違いで親しくしていたJohn Hintzとは、隔年で私が参加していたアメリカ地理学会(AAG)でいつも顔を合わせていたが、一家の皆と会うのは実に10年ぶり。ペンシルバニア州中部の小さな州立大学であるブルームスバーグ大学の環境地理地質学科にJohnが就職して以来、彼と一家はしっかりこの地に根付いたようだった。妻のミシェルは相変わらず朗らかで、息子のライルとセオ、娘のクレアは立派に成長していた。大学院時代を終えてから10年経ったことを改めて痛感するとともに、成長した人に会うのはとても楽しいことに気づかされた。ライルもクレアも今は大学生、それぞれの道をしっかり歩んでいる様子。彼らの近況が聞けて、とても良かった。
 以前訪ねた時は市内の郊外に住んでいたが、今は市内中心部からほど近い大きな庭付きの家に移っていた。夕食はダウンタウンの店でピザを購入し持ち帰り。皆でいろいろ話しながら食事。明日の感謝祭の食事準備を手伝ったり、ビールを飲みながら語ったり、楽しい夜だった。

                            • -

11/23 (Thu)
 感謝祭の朝は前日と変わって快晴。肌寒かったが、せっかくなので市内を散策することにする。妻とともにダウンタウンを回り、そこからサスケハナ川河岸へ。さすがに祝日は人通りも少なく、擦れ違う人は犬の散歩ばかり。行き交う人々と"Happy Thanksgiving!"と挨拶しながら歩いた。サスケハナ川は浅く、ゆっくり流れる川。これは蛇行を重ねながらペンシルバニア州を横断してチェサピーク湾までたどりつくが、カヌーで辿ったら楽しいだろうなぁと思う。
 1時間ほど歩いて、再びジョン宅へ。あまり食事会用に手伝えることもなく、おしゃべりしながら時間を過ごす。キッチンではパイを焼いたり野菜の大皿料理を用意したり。オーブンではターキー(七面鳥)を焼き、外のグリルでは鶏の丸焼きをスモークでギリギリまで続ける。野菜焼きのガラストレイがオーブンから出した際に割れたのはビックリ。こんなこともあるものだ・・・。
 皆で集まっての食事会は午後4時から開始。食事の前からビールを飲みオリーブやチーズをつまんでいたこともあり、実際にはあまり食べられず。ターキーは懐かしい味。鶏肉のグリルは良かった。Johnの同僚カップルなども後から来て、皆でワイワイガヤガヤ、ボードゲームなどをしながら楽しく飲んで語る。10年ぶりの感謝祭に深謝。

                            • -

11/24 (Fri)
 前夜にたくさんいただいたので、朝はあまり空腹にならず。来年度の秋学期に共同で教えるクラスの関係で、朝10時にバックネル大学のA先生と市内のカフェで会う。とても親切な方で、話をしながらいろいろお互いを知ったり授業案を練ったりすることができて良かった。彼女は来年5月から1年日本にいるため、私は後から合流する感じ。同僚の某先生から引き継ぐクラスだが、良い形で進むことを祈りたい。
 1時間ほどの会合を終えて解散し、散歩していた妻と合流してJohn宅へ戻る。準備してここから出発。二日間お世話になり、ありがとう!
 運転はBloomsburgから田舎道沿いに南下。まずは妻が行きたがっていたアンティークの街Adamstownへ。思ったよりも下道に時間がかかり、反省。アンティークの販売品はアメリカのガレージセールで見るような一見ガラクタの品も数々ある一方、やや珍しいものもいろいろあった。私は古本を眺めつつ、Life Magazineの古い写真が載った本を購入。妻は冷たい飲料用のグラスを4つ購入。
 ここを2軒回った後に、さらに南下してランキャスターへ。ペンシルバニア州南東部のアーミッシュが多く住むことで有名な地域。アーミッシュの暮らしが紹介された博物館へ行こうとしたが、少し到着が遅かったため閉館していた。残念・・・。せっかくなので周囲を少し運転。今も馬車が見られたり、洗濯物を干している家屋があったりして、妻には初めてみるものばかりだった様子。正面から写真を撮ってはいけないため、撮ったのは農地や馬車の後方ばかりだった。
 日が暮れ暗くなるなか、ここからフィラデルフィアへひたすら運転。高速の乗り口を見誤って下道で時間がかかり過ぎたが、やがてフィラデルフィア市内に着き、手元の地図と住所の記憶を頼りに予約していた宿へ。無事に迷わず来ることができて良かった・・・。チェックインし、荷物を置いて少し休んでから、近くの店で夕食。アメリカ版食べログのYelpで1600件以上レビューがある店が近くにあったが、当然大混雑で入れず。少し歩いた先にあったアジア系の店に入り、辛めの料理をつまみながら呑んで本日は終了。

                            • -

11/25 (Sat)
 ホテルの窓が南向きで、日の出とともに起きる。ホテル1階にあるコンチネンタル朝食をとったあと、出発。まず市内中心部にあるReading Terminal Marketを見てから(想像以上に外食系が中心で、青果物などの販売はごくわずかだった)、北西方面に歩いてフィラデルフィア美術館へ。2004年のアメリカ地理学会の際にここを訪ねたが、その時は中の展示ではなく、映画『ロッキー』に出てくる階段ランニングのロケ地を見たかったからだった。もちろんその様子は変わっていなかったが、まずは真面目に館内の美術鑑賞へ。元々私は美術館巡りが苦手だが、妻と一緒になってから少しずつそれを克服してきたように思う。この回はヨーロッパ近世の風景画で良い物がいろいろあったし、植民地主義的な描写も見られたのは意義があった。ただ、展示品の数があまりにも多く、最後はややお疲れ。次回は逆に回ってみたいと思う。
 ロッキーが走った階段や向かいの公園などの写真を撮りながら、再び市内へ。遅い昼食を朝行ったマーケットで取る。どこも混雑していたが、特にチーズステーキ系の店は長蛇の列だった。
 昼食後、市内を東へ。有名な独立記念関連の施設で情報を集め、古い建物が残っている地区まで歩く。窓の位置が建物によって異なるので、時代の違いがよくわかる。以前来た時はこのあたりを歩かなかったので、新たな発見が多かった。小さな店も多く、一杯飲んで行きたくなる。Penn Landingまで来て、デラウェア川を臨み、少し写真を撮ったぐらいで日が暮れてきたので、このあたりでホテルに戻る。途中、独立宣言時に鳴ったとの説がある「自由の鐘(Liberty Bell)」を見かけて、屋外から写真を撮ったり。フィラデルフィアは街がコンパクトで歩きやすいことがよくわかった。
 昨日覗いた店は今日も大混雑。そのため、今夜はギリシャ系の店で夕食。量は多くなかったが、ピタパンや蛸の料理が美味しかった。

                            • -

11/26 (Sun)
 この日も快晴。我々の現在の住まいは寝室が北西向きのため光が入りにくく、京都の家も東向きだが日光が入りにくい作りのため、朝普通に光が入るのが嬉しい。
 朝食をとり、荷物を車に納めてチェックアウトしてから、前日に続き街歩き。独立記念関係の国立施設を観に行く。合衆国独立の詳細は私もまだ理解が不十分な点が多いが、展示を読み学ぶことも多かった。1800年頃まで使っていた旧議会の建物も良かったし、前日外からみた自由の鐘も近くでみると迫力があった。
 ここから南に歩き、サウスストリートへ。数日前にライルが教えてくれたフィリーチーズステーキ(フィラデルフィア名物のサンドイッチ)の店へ行く。タッチパネルで直接注文する初めてみるシステム。妻と話しながら待ち、できたものをいただいたが、旨い!30cmぐらいのパンのサイズでも、あっという間に食べてしまう。いやー、これはハマる!本当に美味しかった、また来たいな・・・。
 昼食後、妻の希望で市内の「アンティーク通り」を歩いたが、残念ながらあまり店がなかった。たまたま入った店でいろいろ教えてもらった話によれば、19世紀〜20世紀初頭までアンティーク店を経営していた店主の子ども世代の多くが店を継がず、店舗の土地が売られていき、今ではアンティーク店を経営しているのは5−6軒程度とのこと。そういう店主は、大学で美術史を25年教えた後に引退して、新たに店を始めたらしい。こういうキャリアも良いなぁと思う。話が盛り上がったこともあり、勢いで壁にかける小さな絵を2つ買ってしまった・・・。
 ホテルに戻り、車を出して出発。フィラデルフィアからデラウェア川を渡ってニュージャージー州へ。有料の州間高速道路(I-95)へ行き、そこから北上する道も、案内がわかりやすく迷わず来られた。また、連休最終日の日曜が良かったのか、有料道路はずっと空いていてスムーズに進む。ただ、ハドソン川を渡ってニューヨーク側に行くジョージワシントン橋の少し前から大渋滞、1時間半〜2時間近くここに捕まってしまう(涙)。なんとかここを抜けて、95号に沿ってニューヨーク州を北東へ進み、コネチカット州に入ってからニューヘブンで91号に移って北上。後半は少しのトイレ休憩だけで一気に進み、夜9時40分ぐらいに帰宅。渋滞がなければ8時前後に着けたよなぁと思いつつ、無事に戻ったことに安心。充実した連休旅行でした。

ニューイングランド生活 第9週・第10週

(すみません、書き溜めてあったまま、12月中旬以降があまり書いていなかったため、更新が止まっていました。順次アップロードしていきます)

10/23 (Mon)
 前週に全然仕事をしていなかったので、気合いをいれていろいろ進める。科研の申請書をはじめ、諸々のメール連絡や事務処理。 

                            • -

10/24 (Tue)
 前日に同じく。集中している時は昼食を抜いてそれに従事し続けるようにする。ダイエットも兼ねた活動だが、体重はここしばらく77kg前後で変化なし。半年前よりは数キロ落ちたので、このまま維持したいところ。科研の申請書をひとまず書き上げ、信頼できる知人に読んでもらうため日本に送る。

                            • -

10/25 (Wed)
 二回目の路上試験を受けるため、いろいろ調べる。過去に受験した人たちがハンドシグナルのことを書いていたので、これは読んでおけばよかったと少し反省。基本的な操作、独自の注意事項について確認する。
 路上試験用の「スポンサー」になってくれるJさんをピックアップして、Greenfieldへ。意外な事に、試験監督者は前回ハンドシグナルの問いで落とした方だった。落ち着いてやるように心がけたが、縦列駐車で少々失敗し、またも不合格。気落ちしながら帰宅、なぜこんなにMA州の運転免許を取得するのが難しいのだろう。やや自己嫌悪。
 夜、気分転換も兼ねて、地元の映画館へ過去の映画の上映を観に行く。どちらもLes Blankというアメリカの民俗音楽(Folk Music)を主に取り上げてきた映画監督による作品の二本立て("Garlic Is as Good as Ten Mothers" (1980), "Yum, Yum, Yum! A Taste of Cajun and Creole Cooking" (1990))。画像は当然ながらかなり古かったが、若き日々のAlice Waters(カリフォルニア・バークレーで早くから地産地消を意識したレストラン"Chez Panisse"を開店したシェフ)が出てきたり、ルイジアナのザリガニ漁業のシーンが出てきたり、なかなか興味深かった。ちょっと気分転換になったかな。

                            • -

10/26 (Thu)
 日中は諸々の仕事。
 夜に妻と先日会った大学生と待ち合わせて、中国人アーティストAi Weiweiが制作したドキュメンタリー映画"Human Flow"を観に行く。内容は世界各地における難民問題を考えるもので、今まで自分が見ていなかった様々な映像が含まれていた。また、ドローンを利用した空中からの撮影も秀逸。ただ、約2時間半の内容で、後半はどこでどう終わるのかわからないまま見ていた。それを考えると、140分の映画を授業で使うのは難しいなぁと思う。
 映画終了後にダウンタウンの飲み屋へ行く予定だったが、妻が身分証明(年齢確認として必要なID)を忘れたために入店できず、今回は断念…。我が家まで帰宅し、学生も含めて12時過ぎまで家呑みを楽しむ。

                            • -

10/27 (Fri)
 記録なし。批判地理学のミニ集会へ参加する予定だったが、疲れが溜まっていたのと、それほど知り合いもいなかったので、遠征を取りやめる。

                            • -

10/28 (Sat)
 朝、ファーマーズマーケットへ。野菜をいろいろ購入。日中は大学フットボールの試合を見ながら読書。

                            • -

10/29 (Sun)
 記録なし。日中はNFLの試合を見ながら読書。

                            • -

10/30 (Mon)
 午前中はいろいろ雑用。数日後の旅程に合わせて準備をする。昼前に家を出てChicopeeのRMVへ。今回も同じくJさんに路上試験用スポンサーをお願いする。緊張しながら試験を受け、縦列駐車も問題なく出来たと思うが、ウィンカー点灯が遅かったり後方確認が不足していたりとの指摘で、今回も不合格。うーん、ショック・・・。これが「二度あることは三度ある」なのか。四度目の試験は受けられるのだろうか・・・。
 同乗して下さったJさんに徒労を謝った後、予定地ニューヨークに向けて出発。コネチカット州のNew Havenまで車で行き、駐車場に停めてから電車でニューヨークへ向かう。駅へ行く道を間違えて時間がかかったが、なんとか無事にたどり着く。電車は切符を買ってまもない時間に次のNY行きが出るところだったので、それに乗りこみ向かう。車窓から見える自然や建物がとても新鮮で、アメリカ以外の国にいるような気分だった。
 初めてGrand Central Stationまで行き、駅構内を少し散策したあと、宿があるPenn Station方面へ向かう。電車で2駅の距離だが、地上を歩きながら周囲を観察。他の都市にはない雑多さとクラクションの騒音を感じながら「いかにも大都市」という気分になる。ブロードウェーの曲線や5番街の賑やかさも、なんとなく懐かしい。ある人の予約キャンセルを引き継いで泊まることになったHotel Pennsylvaniaは、立地こそ良いものの、歴史あるホテルゆえに室内も「えぇ?!」と言いたくなるような古さ。でも部屋数が多い分、安い価格でも宿泊客が回転・利用して稼いでいるのだろうなぁと感じた。
 Yelpで近くにある良さげな店を探し、地ビールが豊富な38th St.の店へ夕食に行く。料理は少量だったがいろいろ飲めて満足。宿に戻り、翌日必要そうな資料を読んだりメールに返信したりしながら寝てしまう。

                            • -

10/31 (Tue)
 電気をつけたまま寝てしまったからか、6時過ぎに目が覚める。毎日これぐらいに起きれば良いのだが…。
 朝、近くで軽く朝食を取ったあとにPenn Station内部を散策。たしかに地下の駅だったが、ホームが広大でなかなか興味深かった。Amtrakはここから出ている様子。ちょうど朝8時半発ボストン行の電車が乗車を続けていたが、ニューヨークとボストンを往復する人たちは飛行機とこれのどちらを利用するのだろう、などいろいろ考える。ニュージャージーの地名も見慣れないものが多く、興味深い。
 午前中は残っていた書き物をしたり、論文に目を通したり。ホテルをチェックアウトした後にウォール街まで地下鉄で行き、その周辺を少し歩く。スタバで仕事をしていたら、隣のベルギー人集団に日本語で文書をタイプすることについて聞かれ、しばし雑談に。アルファベット文化圏の人たちには、漢字やアラビア語など非アルファベットをどのようにタイプするのかイメージがわかず、気になるのだろう。キーボードと言語入力の統一化が与えた影響について、研究があったら読んでみたい。
 本日のメインイベントは、午後からニューヨークのGrowNYCという農・食関係のNPOで開催されるワークショップ。元々は愛媛大のS先生が渡米しているタイミングに合わせて企画して下さったもので、ここの代表だけでなく、S先生と旧知の仲であったスローフードUSAの代表も合流して議論に加わる。話の内容はニューヨーク市内のグリーンマーケットの展開過程からコンポストや廃棄食品回収の実践と定着、行政との関わり、そして近年様々な都市で行われているFood Hubの形成について。途中、ジョージタウン大学のK先生もSkypeで話に加わり、主にGrowNYCの代表の話を聞きながら議論する。Food Hubは機能として重要だが、ロジスティクス(物流)面の機能を理解せずには進まない話でもあり、これまでのローカルフード運動とはまた一線を画すように感じた。「Food Hubが成長するとファーマーズマーケットは不要になるのでは?」というラディカルな問いもあったが(私はそう思わないが)、いろいろ考える余地のあるテーマだと思う。
 5時過ぎまでいろいろ話した後、解散。地下鉄の駅までS先生たちと歩きながら話し、Fulton St.の駅で別れる。貴重な機会だった、感謝。地下鉄でGrand Centralに戻り、そこからNew Havenへ電車で向かい、あとは自宅まで運転、約2時間で到着。NYCのグランドセントラルから自宅までドアツードアで約4時間ということもわかって良かった。

                            • -

11/1 (Wed)
 朝5時半に起き、出発準備。弟の結婚式に出席するため、この日から短期で妻と一時帰国の途へ。前夜にパッキングと書類作成を進め、数時間だけ寝て出発。最寄りの空港となるコネチカット州ハートフォードのブラッドリー国際空港へ8時半頃に着き、カナダ入国のためのeTAタブレットで登録してから(すっかり忘れていた!)、無事にチェックイン。ここでアメリカ入国用のビザ関係書類DS-2019を持参しそびれたことに気づく。参ったなぁ…なくても入れるかなぁ…などと考えた末、やはりないままではマズイと判断し、滞在先の部屋の鍵を持っているT先生へ連絡してUPSFedEx等で書類を送ってもらうようお願いする。数日前にカナダへ行った際はこの書類を持参していたのに、今回はすっかり忘れていた。ちょっと気が抜けていたのかな、と反省。
 ハートフォードから2時間ほどでトロントに着き、そこで乗り換え。空港内の食堂でピザを食べ、時間が来て出発。今回は結構満員のフライトで、当初から窓際の連続した席が取れなかったため、最初から諦めて後方中央部に二人で座る。ドリンクのサービスも悪く、なかなか来ないから2本同時に頼もうとしたら断られたりで踏んだり蹴ったり。ひたすら寝るか書類を読むかゲームをするかで時間をつぶしながら、約14時間のフライトを過ごす。

                            • -

11/2 (Thu)
 翌日着となる羽田への到着は午後5時過ぎ。空港へ両親が車で迎えに来てくれて、それに乗って混雑する首都高速を抜けながら帰る。約2カ月半ぶりの日本といっても、あまり新鮮さや驚きがない。我々二人と両親の4人で夕食をいただき、近況をいろいろ報告する。先日母が我々を訪ねて来ていたので、これもあまり驚きはなかったかも。父の会社が苦境の最中にいたが、少しずつ区切りをつけつつあるようで、話が聞けたのは良かった。

                            • -

11/3 (Fri)
 前夜からの睡眠はあまり長く眠れず、早朝に目が覚めて読書で時間を過ごす。でも朝食後ぐらいから急に眠くなり、再び睡眠。文化の日で仕事がなかったのが幸いした。
 昼前に出て、神保町へ。適当に歩いてラーメンを食べた後、アポがあったT社へ行き、担当の方といろいろ話す。初対面ながら、良き話ができたのではないかと思う。いずれ仕事が回ってくるだろうが、その時はまた自分なりに微力ながら貢献できるよう精進したい。
 3時過ぎにT社を出て、地下鉄を乗り継いで新宿御苑へ。毎年この時期に購入している来年度の手帳Slingshot Organizerを買いに、東京の代理販売店であるアナーキストショップのIrregular Rhythm Asylumを訪ねる。ここ数年は通販で購入していたので、店舗を訪ねたのは久しぶり。挨拶したり少し古本を観て買ったり。この手帳を使い始めて来年が11年目。もとは留学修了・帰国時に元ルームメートが別れのプレゼントとしてくれた物で、私はそれがすごく気に入り、以降は毎年これを購入して使っている。来年も良い年にしたいものです。
 新宿御苑から電車を乗り継ぎ、二子玉川へ。妻と待ち合わせて、短時間ながら高島屋で買い物、靴下を購入。それを終えてから妻の叔母宅@上野毛へ。久しぶりに妻の叔母夫妻と我々で食事に行き、天ぷら屋へ行く。あっさりめの感じだったが、薄い油で揚げているのが印象的だった。美味しく食べ・呑み、いろいろな話をして、二次会は新しい地下の店へ。ここでも新しい出会いがあり、会話が弾む。ビールやワインを結構呑んだかな・・・。12時近くまで呑み、お開き。翌日に備えてすぐ寝る。

                            • -

11/4 (Sat)
 朝6時半過ぎに起床。妻は結婚式用の着付けをしてもらい、私はスーツに着替える。用意を済ませてから出発。友人宅で同じく着付けをしてもらった母と自由が丘で待ち合わせ、日比谷線経由で築地へ。某タワー上が末弟の結婚式会場。割と早めに着き、少し挨拶をした後、雑談で時間が過ぎる。我々は兄弟が多いため、現在3世代で20人いる大家族。でも皆頻繁に顔を合わせているわけではないので、近況を話したりする良い機会だった。
 結婚式は建物の上のテラスにて。漫画にも出てきそうな白人宣教師による片言ニホンゴ&英語での式、宣誓や指輪交換などを執り行う。南西向きのテラスで日差しが強く、眩しい時間だった。写真をいろいろ屋外から撮ったが、うまく撮れたか気になるところ。
 屋内に戻っての披露宴は、良き時間だった。末弟の晴々した笑顔を観て、感涙が止まらず。いろいろな道を歩んできた彼だが、今後は二人で前向きに歩んでほしい。兄弟4人の写真を撮ったり、義兄と久しぶりに話したり、あっという間の2時間だった。T&Mちゃん、おめでとう!!!
 下へ降りて一息ついたあと、私は研究仲間と約束していたため一足先に退席。東京駅へ向かい、メンバーと落ち合う。我々は2009年から不定期で勉強会を始め、2012年には共同で論文を発表した4人組。近況や諸々の進捗状況や新たな動向などを話し合う。東京駅八重洲北口側に地下と地上で店がいろいろあり、一軒目は地ビール系パブ、二軒目は和食の居酒屋に入る。気の置けないこのメンバーでいろいろな話ができて、貴重な機会だった。まずは現在進行中の翻訳プロジェクトを完成させたいし、その後にまた皆で何かやりたいと思う。
 午後5時半ぐらいまで一緒にいろいろ話した後にお開きとなり、私は新浦安の実家へ帰宅。既に酒盛りが始まっていて、後から従姉一家も合流し、いろいろな人と話す。最後は結構酒が回り、やや感情的になってしまった時間もあり、反省。アメリカ西海岸に住んでいる弟と久しぶりにいろいろ話せて良かった。マサチューセッツでの生活は概ねうまくいっているように見えて、実は運転免許関係や学内の社交機会の少なさなどでストレスを抱えていたのかもと気づかされた時間だった。残る9カ月半の長期派遣期間を良い形で過ごせるよう、人に優しく前向きな姿勢を大事にしたいと思う。

                            • -

11/5 (Sun)
 前日呑み過ぎたせいか、朝から一日グロッキー。昼に近くの回転寿司店へ妻と食べに行ったものの、十分消化しなかった様子。また、ビザ関係書類の到着日を考慮し、出国日(アメリカへ戻る日)を2日延期する。午後に妻の買い物に付き合った後は昼寝。せっかく皆で行った夕食のふぐ料理も前半は全然入らなかったが、ようやく身体が受け入れるようになり、最後は雑炊を美味しくいただく。家に戻って家族麻雀。父が四暗刻を達成、初めて実際に見た・・・。 

ニューイングランド生活 第11週

11/6 (Mon)
 二日酔いも抜けてすっきりだったが、やや時差ボケが残った感覚。メールの対応や書類手続などを済ませる。昼前に妻と東京・日本橋方面へ向かい、諸々のお土産購入。日本橋の開発を初めてじっくり観る。高島屋のエレベーターガールをみたのは小学生以来?このクラシックな建物はなかなか素敵。ただ、慣れない買い物を続けていると最後はグッタリ…。実家に戻ってパッキングを進め、夕食は親子4人で和やかに。

                            • -

11/7 (Tue)
 日中は近くのイオン(旧ダイエー)にて細々買い物を行う。本屋にもあまり寄れなかったなぁと実感。駅中のインド料理で昼食、美味しかった。昼過ぎのバスで、新浦安から成田空港へ。成田で薬品などを購入後、そのまま出発。最初はバンクーバー行き、トロントから羽田の便が長かった分、すごく早く感じた。バンクーバー同日着で、入国審査を抜けてからトロント行きフライトへ。どちらも適度に寝て過ごす。ハートフォード行きのフライトが既に終了していたため、トロントで一泊。空港から近いHoliday Innでチェックインし、翌朝が早いことから、入浴してすぐ寝る。空港内で泊まるという選択肢もあったが、後で確認したら空港内の席に仕切りがついていて寝にくい構造だったので、結果的に一泊して良かった。

                            • -

11/8 (Wed)
 朝早いホテルのシャトルバスで空港へ。トロントからハートフォードへは2時間ぐらい、オンタリオ湖を越えてニューヨーク州北部がよく見えたので、窓から写真を撮り続ける。うまく撮れたかな・・・。荷物をピックアップし、すぐ運転。45分ぐらいで大学街の住まいへ到着。おつかれさまでした・・・。
 転がっていた新聞をピックアップして、諸々の整理。溜まっていたメール対応や読書。9月に車を買った先のディーラーから連絡があり、そこで若干の手続き変更。最初からキャッシュで買っておけばわかりやすかったかなと実感。

                            • -

11/9 (Thu)
 朝、ホストの大学事務室と先生のオフィスへ。書類を見つけて送ってくれたことへの御礼を伝え、日本からの粗品を渡す。トロントの出国の際に入管審査官に聞いてみたら、「DS-2019を家に忘れたと言っても多分通してくれるだろう」と言われたが、どこでどんな嫌な目に遭うかわからないし、今後は気をつけたいと思う。
 終日メールの対応や新たな執筆など。気になっていたシラキュース大学でのコロキウム参加の可否を数日前に打診したところ、快諾歓迎の返信をもらい、安心する。週末の遠征に向けて少し準備。前日にディーラーへ行った際に「スノータイヤへ換えておいた方がよい」とアドバイスを貰ったので、近くの店へタイヤ交換へ。1時間半ほどで完了。ニューイングランドも寒くなってきて、落葉も増え、いよいよ冬が近づいたことを実感する。

                            • -

11/10 (Fri)
 朝8時半ごろに家を出て、西へ。目指すはニューヨーク州シラキュース。事前の行程検索では約4時間と出ていたが、途中に朝食やトイレ休憩を入れて約5時間半ぐらいで着いた。シラキュースに着く前から雪がちらつき始めていた。
 予約していたホテルから徒歩15分ほどの距離にあるシラキュース大学へ向かい、地理学教室のコロキウムに参加する。以前アメリカ地理学会(AAG)で会っていたLaura-Ann Minkoff-Zernの研究発表を聞きたかったので、来られて良かった。シラキュース大学の地理学科は私の大学院留学時代の先輩にあたるJamie Windersが現在学科長を務めており、彼女にも久しぶりに会って親交を温めた。コロキウムのホスト役である歴史地理学のBob Wilsonがとてもフレンドリーな方で、研究発表後のレセプションや夕食も一緒に参加させてもらった。こういう議論や出会いの機会を求めていたんだなぁとしみじみ実感。事前の予報で出ていたとおり、夜はとても寒かった(摂氏マイナス10度!)が、新しい出会いと議論の機会に心から感謝。

                            • -

11/11 (Sat)
 一緒に来た妻が風邪をひいたため、午前中はホテルの室内で過ごす。朝食兼昼食はルームサービスで済ませる。前日会ったJamieの計らいで、ちょうどシラキュースに来ていたケンタッキー大学の地理学者Rich Scheinが合流し、3人でしばらくお茶する。いろいろな話ができて、本当に良かった。まだケンタッキーに行っていないので、年内には一度行きたい。
 ホテルに戻り、寝込んでいた妻のためにルームサービスで昼食を取ったあと、一人で街歩きへ。今回行きたかったErie Canal Museumへ行く。アメリカ史を学ぶ人たちは独立戦争南北戦争についてはよく知っていても、エリー運河などのインフラに関する言及はほとんどないため、私の授業では合衆国の国土拡大史を説明する際に必ずこの話に触れている。展示は期待していたほど多くなかったが、みるべきものはあった。シラキュースもかつては運河沿いに栄えた町だった。書籍を数冊購入し、目的が果たせたことに満足。
 寒い中、ダウンタウンを歩き回る。やや寂れた街。一部は活性化が進んだようだが、そうでないところはガランとしていた。今後はどうなるかな・・・。夕食は少し快復した妻とホテル内で軽くいただく。今後は市内のBBQ店に行ってみたい。

                            • -

11/12 (Sun)
 前夜に雪が少し降ったようで、寒そうな朝。チェックアウトして、市内の大きなショッピングモールへ行く。ここでしばらく買い物。私は冬用の靴をNordstromのアウトレット店で購入したが、使うことはあるかな・・・。
 昼過ぎまで買い物してから、1時間ほど運転して小さな大学町、ハミルトンへ。ホテルでチェックインした後に、コルゲート大学のYさんに会いに行く。直近では7月に来てくれた研究会以来の再会。近況ほかをいろいろ話す。はじめて奥様にも会い、挨拶する。
 夜は少し離れたところにある人気BBQ店へ案内してもらう。寒い中行ったが、なかなか良いところだった。運転していなかったら呑みながら食べたかったが、仕方ない。Yさんも私と同じくよく食べる人で、どちらかといえば大食の私としては久々に「よく食べる人」と会えたのが嬉しかった。

ニューイングランド生活 第7週・第8週

(すみません、第7週・8週の日々は旅行していたこともあり、あまり記述がありません。簡単ですが記録だけ残しておきます)

10/9 (Mon)

 コロンバス記念日、もしくは先住民記念日の祝日。北上する低気圧の影響で雨と風が強く、家の前の木の落葉が続く。出かけるのもままならない天気なので、家でいろいろ作業する。
 先月、ポートランド州立大学の政治学者による植民地主義を肯定する論文がThird World Quarterlyに掲載され、それをめぐって批判地理学や開発学の中で大きな反論・抗議運動が発生し、後に論文が撤回されたという記事がWashington Postに掲載されていたことをツイッターに書いたところ、今までにないくらい数多くのリツイートがあり、反響にビックリ。誰がRTするかによっていろいろ変わるのかな、と思う。私はツイッターを自分のメモ用に使っているが、今後も適宜紹介する機会も設けていきたいと思う。

                            • -

10/10 (Tue)

 大学の学年暦の上では、本日が秋休み最終日。でも、図書館へ行くと普段通り開館していて、短縮時間でもなさそうだったので少々安心。科研の申請書に手を入れたり、溜まっていたものを読んだり。12日からカナダへ数日行く予定のため、それに関連する地図や資料を探したりする。
 昼食で街中へ出かけた以外は、概ねオフィスで作業の一日。

                            • -

10/11 (Wed)

 朝、久しぶりにランニング。5kmを約5分半のペース。以前、陸上で中長距離を走っていた頃は1マイル(1600m)を5分少々で走っていたが、今は頑張っても8分半にいかないくらい。まぁ仕方ない・・・。
 日中は終日オフィスで作業していた一日だと思う。

                            • -

10/12 (Thu)

 この日からカナダへ遠征。朝9時過ぎに出て、ヴァーモント州を北に向かい、カナダへ入国。ケベック州は本当にフランス語表示だらけ、異国に来た感覚が楽しい。ガソリンスタンドで地図を買い、農村地域の下道を少し回る。不思議な道のマークのところを通り、農場を見ても何かわからない池のエリアがあったが、これは後にクランベリー農場であったことがわかる。
 16時半ごろに目的地ケベックシティに到着。予約していたホテルにチェックインし、日が暮れるまでの間に、街を散策。なるほど、確かに城壁に囲まれた街だなぁと実感。城壁の内側が小高い丘になっているのも興味深い。
 夜になり、ホテルのそばまで戻ってから、妻がYelpで見つけた高評価の店へ。少し待たされたが、2人で座れた。メニューをみると、いわゆる地産地消を意識した店であることがわかる。ビールもいろいろあり、美味しい。料理はアメリカのような大量サイズではなく、割と小さな皿に盛られてくる。全て美味しく、つい追加注文で食べ過ぎた・・・。

                            • -

10/13 (Fri)

 午前中、ケベックシティの市内を散策。午前は快晴で、気持ちよくあちこちを見る事ができた。セントローレンス川の河口エリアもなかなか綺麗。ただ、ここで大西洋に出るわけではないことを改めて知る。日本人の観光客も多く来ていた。ウィニペグへ行くセメスタープログラムの学生は、ぜひここにも来られるといいな…。
 午後1時ごろにケベックシティを出てモントリオールへ。なるべくセントローレンス川の諸相を写真に収めるべく、下道で写真を撮りながら進む。ケベック特有の細長い長方形の土地区画も見かけたが、うまく写真に収まらず残念。次第に雲も多くなり、写真撮影は諦めてモントリオールへ高速を飛ばす。
 モントリオール市内では空港へ直接向かい、午後5時半過ぎに到着。こちらへ遊びに来た母を当地で迎える。到着ゲートで会えるか心配だったが、無事に会えて一安心。その後は車で市内へ。市内各地の高速道路が工事中で、道に迷い続けたが、なんとかホテルに着けた。夕食は近くをぷらぷら歩いて見つけたアルゼンチン料理店へ。牛肉のグリルが美味しかったが、サンチャゴで食べたものに比べると物足りなかったかな・・・。

                            • -

10/14 (Sat)

 午前9時ぐらいに出て、モントリオールの郊外へ紅葉を観に行く。朝から雨、山へ向かうにしたがい霧も出てきてどうなるかと思いながら、目的地のMont-Tremblantへ行く。着いてから無料リフトに乗り、「上に行っても何も見えないよ」と言われながらも有料リフト券を買って山頂までゴンドラに乗る。霧の中から一部湖や紅葉の木々が見られ、快晴ではなかったものの、悪天候の割には意外に綺麗に見られたのではと皆で納得。ここは冬はスキーリゾート、夏は避暑地として利用されているらしい。また来たいと思える場所だった。
 夜はモントリオール市内を散策、マギル大学のそばのブリュワリーパブで夕食。メニューボードに書かれていたビールはほぼ制覇したと思う・・・。

                            • -

10/15 (Sun)

 やや天気が悪い中、モントリオールの市内めぐり。ノートルダム大聖堂は通常日曜は入れなかった場所だったが、「母がクリスチャンでミサに参加する」と言ったら入れてもらえた。ここで私は初めてカソリックの礼拝を経験。なるほどと学ぶことが多かった。聖歌隊が後部の上におり、ソロで歌う指揮者が前にいて、ソロで歌う女性の声がとても素敵だった。
 昼はあちこち歩いたあと、ベーグル店を求めてユダヤ人街を回る。観光名所?になっているのかわからないが、ベーグルは安くて美味しく、まとめ買いしていく。ただ、正統派ユダヤ教徒の人々をたくさん目にするエリアだった。夜はホテル近くのビール店で夕食。毎晩美味しく食べられたことに感謝。

                            • -

10/16 (Mon)

 午前に出て、我々の本拠地であるマサチューセッツ州の大学街へ。途中ケベックの農村地域をとおり、ワインを買っていく。アメリカへの国境は車両の列が長かったが、通るのはすぐだった。夕方に無事到着。妻がUMassへクラスに行き、そこから戻った後に家にあるもので夕食。

                            • -

10/17 (Tue)

 午前中は大学街の案内。大学内のチャペルや肖像画を見たり、市内を歩いたり。午後は買い物など。Trader Joe'sやWhole Foodsなどを回り、母が必要としていた土産品を購入。夜は大きなキャベツや牛肉を利用した鍋。呑みながらいろいろ話した。

                            • -

10/18 (Wed)

 午前中に出てプリマス地方へ。私の個人的な関心でクランベリーの農場が見たかったのだが、見事に沼地の州各地を観ることができた。さらに観光農園へ行ったところ、ここでは陸上の収穫も実施していて、どちらも動画に納めることができた。ラッキー!
 ボストン市内のホテルにチェックインした後、夕食は中華街へ。久しぶりにアジアらしい食べ物を食べる。四川系の水餃子が絶品だった。1998年に高校時代の同級生と中国を旅行した時に成都で食べた水餃子を思い出させられる味だった。

                            • -

10/19 (Thu)

 終日ボストン市内観光。チャールス川を渡ってMIT、ハーヴァード大学を見学し、そこで昼食。再び地下鉄で市内に戻り、トリニティー教会を拝観?。パイプオルガンの練習がとても印象的だった。ここから少し歩いてプルデンシャルタワーの上の展望台へ行き、そこから市内を望む。ひたすら写真を撮り続けた。じっくり満喫した後、ボストンコモンの公園へ。犬を放して走らせている家族が多く、101匹のワンちゃんのような大きなダルマチア犬もいてビックリ。最後は再び中華街へ、夕食は別の店の中華。ここでも美味しくいろいろ食べた。

                            • -

10/20 (Fri)

 早朝に母を空港行きシャトルバスへ案内して見送ったあと、少し休んでから出発。自宅までの運転は2時間を切る。ようやくまともにボストンから自宅へ運転で帰ることができた。
 少し休んだ後、予定していた運転免許の路上試験を交通局(RMV)へ受けに行く。いきなり聞かれたのがハンドシグナルの説明で、それが不十分と言う理由で落とされてしまう。こんなことがあるのか・・・最初は激怒したが、もう少し調べておけばよかったと自分も反省。ちょうど同じ頃に交通局で妻が仮免申請をしていたところ、滞在期間が1年未満では免許取得条件の適応外との理由で却下された。これまたビックリだが、後で調べてみたところ、7月に州の政策が変わったようで、滞在1年以上の者でないと運転免許が取得できないという方針に変わったらしい。妻は残りの期間を国際免許で運転していくことになった。私の場合は審査に通ったので(おそらく社会保障番号(SSN)を持っていたからだと思う)、このまま運転免許取得を目指すことにする。
 とはいえ、試験に落ちたり書類を却下されたりでお互い気分が晴れず、帰り際に近くの酒屋でビールやワインを買い込み、夜は呑み会。なんだかなぁ・・・アメリカに到着したその日に追突されたり、レンタカー会社ともめたり、加害者担当の保険会社へレンタカー代の補償を請求したりと、車関係だけずっと問題が続いたままだ。

                            • -

10/21 (Sat)

 昼に所属大学の先生ご夫妻に昼食会へ招かれ、二人で参加する。アジア系の中世史の先生のご夫妻も招かれていて、さらにその方の奥さんが日本のアートについて学んでいるという話もあり、いろいろな方向へ話題が展開する。12時過ぎに行って、お開きとなったのは17時半。ずいぶん楽しくいろいろ話したものだ・・・。帰宅後、妻と軽く飲みながらいろいろ話し、今日は店じまい。そんな日もあるでしょう。

                            • -

10/22 (Sun)

 路上試験に関する前々日のモヤモヤの件をさらに調べた結果、やはりマサチューセッツ州は滞在1年以下の人は免許を取るのが難しいことがわかる。日中は溜まった新聞を読んだり、NFLのTV中継を見たり。あとは記憶が曖昧。ウェブで検索していたら幸い予定に空きがあり二度目の試験を予約。次は現住地の北にあるGreenfieldで路上試験を受けることになった。